P.F.ドラッガー研究

Media Literacy 2010, Crowner.Co.LTD

P.F.ドラッガー研究

以前にもドラッガーを読んだことはあったけれども、それほど惹かれることはなく、読んでなかったのですが、ある時本棚にしまいこまれていた、ドラッガーを何気に手にして少し読んでみたら、結構面白かったのであります。それ以降どんどんと惹かれるようになり、読むことを止められなくなってしまったのです。

今の時点で普通の人以上のことを私はドラッガーを知らない。まだ読み始めたばかりであるからです。だからこのページに何も期待してはいけないということであります。せいぜい目次の一覧が載っていることぐらいであるのですから。

わざわざここにドラッガーの場所を作ったちということは、少なくてもこれから本気で読み込んでいくという決意表明のようなものであります。

P.F.ドラッガーとは

ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909年11月19日 - 2005年11月11日)は、オーストリア・ウィーン生まれのユダヤ系経営学者・社会学者。もとは「ペーター・フェルディナント・ドリュッカー」(Peter Ferdinand Drucker)。父・アドルフ・ドリュッカー(ウィーン大学教授)と母・ボンディの間の子で、義理の叔父に公法学者・国際法学者のハンス・ケルゼン(母方の叔母・マルガレーテ・ボンディの夫)がいる。もともと、ドリュッカー家(ドラッカー家)はオランダにいたポルトガル系ユダヤ人(セファルディム)の家系で、「ドルカー」(Drucker)と呼ばれていた。後にオーストリアに移住し、「ドリュッカー家」(Drucker)と、ドイツ語風に改めた。

ドラッガー全集

 1 経営者の条件

まえがき

目次

2 現代の経営(上)

本書『現代の経営』は、一九五四年、ドラッカー四四歳のときの著作である。世界で最初の総合的経営書であり、かつ今日広く読まれている経営書である。

まえがき

 本書は企業を三つの次元でとらえた。

 第一に、自らの外部、すなわち顧客のために成果を生み出す経済的な機関としてとらえた。第二に、人を雇用し、育成し、報酬を与え、彼らを生産的な存在とするための機関、したがって統治能力と価値体系をもち、権限と責任の関係を規定する社会的機関としてとらえた。第三に、社会とコミュニティに根ざすがゆえに公益を考えるべき公的機関としてとらえた。

 また本書は、本書の出版当時(一九五四年)には言葉さえほとんどなかった「企業の社会的責任」について論じた。

 こうして本書は、今日われわれがマネージメントの体系としているものを生み出した。それに偶然でも運でもなかった。それこそ本書を書いた目的であり、意図だった。

 本書を書いたとき、私はすでに一〇年以上コンサルタントとして成功していた。だが私は、もともと企業とそのマネージメントへの関心からスタートしたのではなかった。一応、若い頃にはドイツで一年弱、イギリスで三年ばかり金融機関で働いたことがあった。しかしその後、筆をとり、行政と政治を教えていた。マネージメントなるものに関わりをもつようになったこと自体が、ほとんど偶然によるものだった。

 一九四二年、私は『産業人の未来』を発表した。その中で私は、かって家族とコミュニティが担っていた社会的な課題のきわめて多くが、やがて組織、特に企業によって果たされるようになることを論じた。この著作は、世界最大のメーカーであるGM(ゼネラルモーターズ)の首脳陣の目にとまり、一九四三年の秋には同社のマネジメントについて調査研究するように依頼された。この調査研究から誕生したものが、一九四六年に発表した『企業とは何か』(邦訳旧題『会社という概念』)だった。

 GMでの仕事は面白かったが、ストレスの溜まるものでもあった。研究の準備をしようにも参考するものがなく、企業とマネジメントについて書かれた書物はごくわずかしかなかった。

 そのごくわずかのものでさえ、役には立たなかった。それらのものは、いずれも企業活動の一つの側面、しかもそれだけが独立して存在するかのように、特定の側面しか取り上げていなかった。それらは、身体の一つの関節についてだけ書いている解剖学の本を思わせた。骨格や筋肉はもちろん、腕についてさえ述べていなかった。

 しかも、企業のマネジメントに関わる側面については、まったく何の研究もなかった。

 私は、マネジメントや経営管理者の仕事が興味深い存在になっているのは、それが生きた存在だからだと考えた。事実、GMでの調査を始めて直ちに、マネジメントするということは、第一に成果をあげることについて考え、第二に企業の中で共通の課題に取り組むべき人たちを組織することについて考え、第三に社会的な問題、すなわち社会的なインパクトと責任について考えることであることを知った。しかしそれらのことについては、いかなる文献も見つからなかった。それら三者間の関係についてはなおのこと、何も見つからなかった。

 私はその調査研究をまとめた後も、かなり長い間GMのコンサルタントをつとめた。その頃、シアーズ・ローバック、チェサピーク&オハイオ鉄道、GE(ゼネラル・エリクトリック)からもコンサルタントを頼まれるようになった。しかし、私はいつも同じ状況に直面した。すなわち、マネジメントの仕事、機能、課題についての研究、理念、知識に関する文献はほとんど存在せず、いくつかの断片と専門的な論文があるにすぎなかった。

 そこで私は、じっくり腰を下ろしてこの暗黒の大陸たるマネジメントの世界の地図を描き、欠けているために新たに生み出さなければならないものを明らかにし、すべてを組織的、かつ体系的に一冊の本にまとめようと決心した。

 それまでのコンサルタントの仕事で、私は大勢の若い優秀な人たち、その上のミドルの人たち、あるいは、さらに大きな仕事を任されている人たちに会っていた。彼らは、自分たちの先輩である第二次世界大戦前に昇進していた人たちとは違い、自らが経営管理者であることを自覚していた。彼らは体系的な知識を必要としていた。すなわち、コンセプト、原則、手法を必要としていた。しかも彼らは、それらの何も手にしていないことを知っていた。

 私が本書を書いたのは、そのような人たちのためだった。事実、この『現代の経営』をベストセラーにしてくれたのは彼らだった。彼らは、経営管理者であることを、単なる地位から仕事、機能、責任に変えた人たちだった。

 本書はアメリカだけではなく、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、日本で、直ちに大きな成功を収めた。特に日本では、経済発展の基礎になったとしてくれた。

 私のマネジメントに関する世界最初の本『創造する経営者』(一九六四年)であり、エグゼクティブとしてお自らのマネジメントについて説いた『経営者の条件』(一九六六年)である。また『マネジメント』(一九七三年)は、エグゼクティブの体系的入門書としてだけでなく、大学の教科書としても書いた。同書は、本書『現代の経営』が読みやすい入門書を意図したのに対し、総括的な決定版を意図した。

 本書はいまなお、経営学部の学生、経営管理者を目指す人たち、すでに経営管理者になっている人たちが必読書としている唯一のものである。ある大銀行の会長は役員たちに対し、「マネジメントについて一冊だけ読むとしたら『現代の経営』にしなさい」と繰り返しいってくれている。

 本書の成功の原因は、その総合性と読みやすさのバランスにあると思う。一つひとつの章は短い。しかし、いずれの章も基本的なことを提示している。それは、本書執筆の意図の当然の帰結である。私は、自分がコンサルタントをしていた企業の経営管理者に対し、彼らが今日の仕事に必要としているもののすべてを提供しようとした。しかも、そのために使う材料は、取り組みやすく、読みやすく、かつ忙しい人たちが割ける時間に合わせたものにしようとした。

 本書のあとに書かれ、出版された経営書が多数あるにもかかわらず、本書が長年にわたってベストセラーとして広く読まれているの理由は、このバランスにあると思う。本書はそのゆえに、企業や政府機関やその他の組織の経営管理者と、経営管理者を人たちの愛読書となっている。

 私は本書が、今後も長い間、新しい世代の学生や、意欲に燃える若い経営管理者、経験あるエグゼクティブの方々にとって、愛読書となり続けてくれることを期待している。

カリフォルニア州クレアモントにて
                             ピーター・F・ドラッカー

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目次

  • 序論 マネジメントの本質
    • まえがき
    • 第1章 マネジメントの役割
      • 事業に息を吹き込む存在
      • 経済発展を支える鍵
    • 第2章 マネジメントの仕事
      • マネジメントへの無理解
      • 経済的な成果をあげる
      • マネジメントの第1の機能
      • 創造的な活動としてのマネジメント
      • マネジメントの第2の機能
      • マネジメントの第3の機能
      • 現在と未来のマネジメント
      • マネジメントの多目的性
    • 第3章 マネジメントの挑戦
      • 新たな産業革命
      • オートメーションとは何か
      • オートメーションと人間
      • マネジメントに要求されるもの
  • 第Ⅰ部 事業のマネジメント
    • 第4章 シアーズ物語
      • 顧客にとっての価値はなにか
      • 近代企業の成長の要因
      • 数々のイノベーション
      • 新しい問題と新しい機会
    • 第5章 事業とは何か
      • 人が事業を創造する
      • 企業の目的
      • 企業家的な二つの機能|マーケッティングとイノベーション
      • 経済成長の機関としての企業
      • 富を生み出す資源の生産的な利用
      • 生産性のコンセプト
      • 利益の機能
    • 第6章 われわれの事業は何か
      • 正しい答えはわかりきったものではない
      • われわれの事業は何かがもっとも重要
      • 顧客は誰か
      • 顧客にとっての価値は何か
      • われわれの事業は何になるか
      • われわれの事業は何であるべきか
      • 目標設定の重要性
    • 第7章 事業の目標
      • 「唯一の正しい目標」の誤り
      • いかにして目標を設定するか
      • 市場地位|マーケッティングに関わる目標
      • イノベーションに関わる目標
      • 生産性と付加価値に関わる目標
      • 資源と資金に関わる目標
      • どれだけの利益が必要か
      • 利益を測定する尺度は何か
      • その他の重要な領域に関わる目標
      • 目標の期間設定
      • 目標間のバランス
    • 第8章 明日を予期するための手法
      • 明日を予期することの重要性
      • 景気循環を迂回する
      • 意志決定のための三つの手法
      • 経営管理者の育成が鍵
    • 第9章 生産の原理
      • 生産能力は決定的要因
      • 三つの生産システム
      • 個別生産
      • 二つの大量生産
      • プロセス生産
      • 生産部門に要求すべきこと
      • 生産システムがマネジメントに要求するもの
      • オートメーション化|革命か漸進か
  • 第Ⅱ部 経営管理者のマネジメント
    • 第10章 フォード物語
      • 経営管理者は最も希少な資源
      • ヘンリーフォードの失敗
      • マネジメントの構築
      • 経営管理者をマネジメントすることの意味
    • 第11章 自己管理による目標管理
      • 方向づけを誤る要因
      • 専門家した仕事にひそむ危険性
      • 階層によるマネジメントの違い
      • 何を目標とすべきか
      • キャンペーンによるマネジメントは失敗する
      • 自己管理によるマネジメントの変革
      • 報告と手続きに支配されるな
      • マネジメントの哲学
    • 第12章 経営管理者は何をなすべきか
      • 経営管理者の仕事の範囲
      • 経営管理者の責任の範囲
      • 経営管理者の権限
      • 経営管理者とその上司
    • 第13章 組織の文化
      • 凡人を非凡にする
      • 五つの行動規範
      • 無難であることの危険
      • 評価の必要性
      • 報奨と動機つけとしての報酬
      • 昇進を過大視する弊害
      • 適切な昇進制度
      • マネジメントの理念
      • マネジメントの適正
      • リーダーシップとは何か
    • 第14章 CEOと取締役会
      • ボトルネックはボトルトップにある
      • CEOの仕事の混乱ぶり
      • CEOは一人という迷信
      • CEO一人体制の危険
      • CEOチームの組織化
      • 取締役会
    • 第15章 経営管理者の育成
      • 三つの責任
      • 経営管理者の育成にあらざるもの
      • 経営管理者の育成の原則
      • 経営管理者の育成の方法
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3 現代の経営(下)

目次

  • 第Ⅲ部 マネジメント組織構造
    • 第16章 組織の構造を選ぶ
      • 組織論と経営管理者
      • 活動分析
      • 意志決定分析
      • 関係分析
    • 第17章 組織の構造をつくる
    • 第18章 小企業、大企業、成長企業
  • 第Ⅳ部 人と仕事のマネジメント
    • 第19章 IBM物語
    • 第20章 人を雇うということ
    • 第21章 人事管理は破綻したか
    • 第22章 最高の仕事のための人間組織
    • 第23章 最高の仕事への動機づけ
    • 第24章 経済的次元の問題
    • 第25章 現場管理者
    • 第26章 専門職
  • 第Ⅴ部 経営管理者であることの意味
    • 第27章 優れた経営者の要件
    • 第28章 意志決定を行うこと
    • 第29章 明日の経営管理者
  • 結論 マネジメントの責任

第Ⅲ部 マネジメント組織構造

第16章 組織の構造を選ぶ

組織論と経営管理者

 組織はそれ自体が目的ではなく、事業の活動と成果という二つの目的のための手段である。組織の構造も手段である。組織の構造を間違えるならば、事業活動を著しく阻害し台無しにする。したがって、組織の分析は組織の構造から入ってはならない。事業そのものの分析から入ることが必要である。すなわち、組織の構造を検討するにあたって最初に問うべきは、われわれの事業の目標は何か、何でなければならないかである。組織の構造は、事業目標の達成を可能とするものでなければならない。

 事業目標の達成を可能にするために、いかなる組織の構造が必要かを知る方法は三つある。すなわち、活動分析、意志決定分析、関係分析である。

活動分析

 事業目標を達成するために、いかなる活動が必要かを知ることはあまりに当然のことであって、特に取り上げる必要もないと思われるに違いない。しかし活動分析は、伝統的な組織論では知られていないも同然である。組織論の学者は、改めて分析などしなくても、あらゆる事業には適用できる機能なるものが存在するとする。メーカーの場合には、生産、マーケッティング、エンジニアリング、経理、購買、人事などが、その機能であるという。

 確かに、製品を生産し販売しているメーカーには、「生産」「エンジニアリング」「販売」と呼ばれる活動がある。しかしこれらの機能は、いわば入れ物にすぎない。その入れ物には何を入れるか。「生産」というラベルを貼る瓶は、小瓶にすべきか大瓶にすべきか、それが問題である。

これらの問いに対し、機能のコンセプトは、いかなる答えも与えない。一般論としては、メーカーはそれなりの機能を必要とする。しかし中には、それらの機能のすべてを必要としないものがある。あるいは、まったく別の機能を必要とするものがある。したがって事業ごとに、機能の分類が適切か否かを検討する必要がある。この問題を検討せずに事業を運営することは、初めに薬を与えてから病気を診断するようなものである。結果は疑わしい。

 この問題は、必要な活動を分析することによってのみ答えを得る


意志決定分析

関係分析

第Ⅳ部 人と仕事のマネジメント

第Ⅴ部 経営管理者であることの意味

結論 マネジメントの責任

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4 非営利組織の経営

まえがき

目次

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5 イノベーションと企業家精神

本書『イノベーションと企業家精神』は、一九八五年、ドラッガー七五歳のときの著作である。イノベーションと起業家精神が誰でも学び実行することができるものであることをあきらかにした世界最初の方法論である。

まえがき

本書はイノベーションと企業家精神を生み出すための原理と方法を示している。企業家の性格や心理ではなく、姿勢と行動について述べた。実例を使っているが、それは単に成功物語を紹介するためではなく、重要なポイント、基本的なルール、注意すべき点を明らかにするためである。したがって、ほかの文献とはイノベーションと企業家精神の重要性についての認識は同じであっても目的と内容は大きく異なる。

イノベーションと企業家精神は才能やひらめきなど神秘的なものとして議論されることが多いが、本書はそれらを体系化することができ、しかも体系化すべき課題すなわち体系的な仕事としてとらえた。

本書は実践の書である。しかし、ハウツーではない。何を、いつ、いかに行うべきかを扱う。すなわち方針と意志決定、機会とリスク、組織と戦略、人の配置と報酬を扱う。

本書はイノベーションと企業家精神を、イノベーション、企業家精神、企業化戦略の三つに分けて論ずる。これらはいずれもイノベーションと企業家精神の「側面」であって「段階」ではない。

イノベーションの部では、イノベーションを目的意識に基づいて行うべき一つの体系的な仕事として提示する。また、イノベーションの機会を、どこで、いかに見出すべきかを明らかにする。その後、現実の事業として発展させていく際に行うべきことと、行ってはならないことについて述べる。

企業家精神の部では、イノベーションの担い手たる組織に焦点を合わせる。そこでは三種類の組織、すなわち既存の企業、公的機関、ベンチャー・ビジネスにおける企業化精神扱う。これらの組織が成功するための原理と方法は何か、企業家精神を発揮するには、いかに人を組織し、配置すべきか、その場合の障害、陥穽、誤解は何か、さらには、企業家の役割とその意志決定について述べる。

企業化戦略の部では、現実の市場において、いかにイノベーションを成功させるかについて述べる。結局のところ、イノベーションが成功するかどうかは、その新奇性、科学性、知的卓越性によってではなく、市場で成功するかどうかによって決まる。


企業家精神は科学でもなければスキルでもない。実務である。もちろん知識は不可欠である。本書はそれらの知識を体系的に提示する。しかし、医学やエンジニアリングなどほかの実務の知識と同じように、企業家精神に関わる知識も目的を遂行するための手段である。したがって、本書のような著作は実例による裏づけがなければならない。

イノベーションと企業家精神に関わる私の仕事は、一九五〇年代半ばに始まった。まず最初に、ニューヨーク大学ビジネススクールの夜間セミナーを週一回、二年間にわたって受け持った。学生はほとんどがすでに仕事で成功している人たちだった。

セミナーで議論したことは、彼らの実際の仕事において、あるいはそれぞれの属する組織において試された。また、私自身のコンサルタントの仕事において試され、確認され、洗練され、修正されていった。

本書は、それらの観察、研究、経験のエッセンスである。実際にあったケース、すなわち戦略と実践における成功例と失敗例の両方を紹介している。組織名を出しているもは私のクライアントではなく、周知のケースであるかもしくはその組織自らが明らかにしたものである。私のクライアントの場合は、私の他の著書と同じように実名は出していない。しかしケースそのものはすべて実際に起こったものである。

本書はイノベーションと企業家精神の全貌を体系的に論じた最初のものである。この分野における決定版ではなく最初の著作である。私は本書が嚆矢となることを望んでいる。

カリフォルニア州クレアモントにて
                  ピーター・F・ドラッカー

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目次

  • 第Ⅰ部 イノベーションの方法
    • 第1章 イノベーションと企業家精神
      • 企業家の定義
      • 変化を利する者
      • 企業家精神のリスク
    • 第2章 イノベーションの七つの機会
      • イノベーションとは何か
      • イノベーションの体系
      • 七つの機会
    • 第3章 予期せね成功と失敗を利用する(第一の機会)
      • 予期せぬ成功
      • イノベーションへの要求
      • 予期せぬ成功が意味するもの
      • 予期せぬ失敗
      • 分析と知覚の役割
      • 外部の予期せぬ変化
    • 第4章 ギャップを探す(第二の機会)
      • 業績ギャップ
      • 認識ギャップ
      • 価値観ギャップ
      • プロセスギャップ
    • 第5章 ニーズを見つける(第三の機会)
      • プロセス・ニーズ
      • 労働力ニーズ
      • 知識ニーズ
      • 五つの前提と三つの条件
    • 第6章 産業構造の変化を知る(第四の機会)
      • 産業構造の不安定性
      • 自動車産業の場合
      • 外部者にとってのイノベーションの機会
      • 産業構造の変化が起こるとき
      • 単純なものが成功する
    • 第7章 人口構造の変化を知る(第五の機会)
      • 人口構造の変化
      • 人口構造の変化はイノベーションの機会
      • 人口構造の変化の分析
    • 第8章 認識の変化をとらえる(第六の機会)
      • 半分空である
      • 黒人、女性、中流階級意識
      • タイミングの問題
    • 第9章 新しい知識を活用する(第7の機会)
      • 知識によるイノベーションのリードタイム
      • 知識の結合
      • 知識によるイノベーションの条件
      • 知識によるイノベーションに特有のリスク
      • ハイテクのリスクと魅力
    • 第10章 アイデアによるイノベーション
      • あまりの曖昧さ
      • その騎士道
    • 第11章 イノベーションの原理
      • イノベーションの原理と条件
      • イノベーションの三つの「べからず」
      • イノベーションを成功させる三つの条件
  • 第Ⅱ部 企業家精神
    • 第12章 企業家としてのマネージメント
      • 企業家のための手引き
    • 第13章 既存企業における企業家精神
      • 企業家たること
      • 企業家精神のための経営政策
      • 企業家精神のための具体的方策
      • イノベーションの評価
      • 企業家精神のための組織構造
      • 評価測定の方法
      • 企業家精神のための人事
      • 企業家精神にとってのタブー
    • 第14章 公的機関における企業家精神
      • イノベーションを行えない理由
      • 公的機関の企業家原則
      • 既存の公的機関におけるイノベーションの必要性
    • 第15章 ベンチャーのマネジメント
      • 市場指向の必要性
      • 財務上の見通し
      • トップマネジメント・チームの構築
      • 創業者はいかにして貢献すべきか
      • 第三者の助言
  • 第Ⅲ部 企業家戦略
    • 第16章 総力戦略
      • 総力による攻撃
      • 成功への道
      • リスクの大きさ
    • 第17章 ゲリラ戦略
      • 創造的模倣戦略
      • 柔道戦略
    • 第18章 ニッチ戦略
      • 関所戦略
      • 専門技術戦略
      • 専門市場戦略
    • 第19章 顧客創造戦略
      • 効用戦略
      • 価格戦略
      • 事情戦略
      • 価値戦略
    • 終章 企業家社会
      • われわれが必要とする社会
      • 機能しないもの
      • 企業家社会における個人
      • 訳者あとがき
      • 索引
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 6 創造する経営者

まえがき

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目次

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 7 断絶の時代

まえがき

 手動のトロッコはゲリラ戦で活躍する。後続の列車のためにレール下の地雷を見つける。本書はそのトロッコである。未来はゲリラ戦である。予期せぬことが走行を脱線させる。本書は脱線させないための警報を発する。まだよくは見えないいくつかの断絶が、経済と政治と社会を変えつつあることをいち早く知らせる。

 それらの断絶が世の中を根本的に変えるとはいいきれない。しかしこれからを考えるうえで大きな意味をもつことは間違いない。それらの断絶は、すでに起こったことと、これから起こることとの相乗作用となる。われわれの近未来を形づくることになるものが、それらの断絶である。

 主な断絶は四つの分野に見られる。

 (1)新技術、新産業が生まれる。同時に今日の重要産業が陳腐化する。これまでの成長産業は、一九世紀半ば以降の発明発見に基づいていた。これからの新産業は、二〇世紀の知識によることになる。量子物理学、生化学、心理学、記号論理学の知識である。これからは、技術や産業が連続的だったこれまでの半世紀よりも、新しい技術に基づいて新しい産業が数年ごとに現れていた一九世紀最後の数十年に似たものになる。

 (2)世界経済が変わる。今日いまだに経済学と経済政策は、国民国家を単位とし、言語、法律、文化と同じように経済も異なる国が、貿易によって互いに関わりをもつという世界経済を前提にしている。しかし、すでに世界経済は、グローバル経済になっている。情報が、同一のニーズ、刺激、需要を生んでいる。それらも国境、言語、イデオロギーを越えている。世界は一つの市場となり、グローバルなショッピングセンターとなる。だが今日、このグローバル経済は、グローバル企業以外の機関をもっていない。グローバル経済のための経済政策も生まれていない。

 (3)社会と政治が変わる、いずれも多元化する。今日あるゆる社会問題が組織に任されている。しかし、いまだにわれわれが前提としているものは、一八世紀の自由主義、個人主義である。そのくせ現実に支配しているものは中央集権である。ここで、集権化に向けた趨勢に変化が起こる。最大の中央集権組織である政府に対する幻滅が広がる。その能力が疑問視される。政府以外の大組織についても批判が生じる。

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目次

  • まえがき
  • 第Ⅰ部 企業家の時代
    • 第1章 
    • 第2章 
    • 第3章 
    • 第4章 
  • 第Ⅱ部 グローバル化の時代
    • 第5章 
    • 第6章 
    • 第7章 
  • 第Ⅲ部 組織社会の時代
    • 第8章 
    • 第9章 
    • 第10章 
    • 第11章 
  • 第Ⅳ部 知識の時代
    • 第12章 
    • 第13章 
    • 第14章 
    • 第15章 
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 8 ポスト資本主義社会

まえがき

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目次

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9 経済人の終わり

本書『「経済人」の終わり』は、一九三九年、ドラッカー二九歳のときの処女作である。「経済人」とは経済至上主義のことであって、経済至上主義は社会を機能させ人を幸せにするかとの本書の問題意識は、今日そのままわれわれのものである。ドラッカー思想の原点に位置づけられる名著である。

まえがき

本書は政治の書である。

 したがって、学者の第三者的態度をとるつもりも、メディアの公平性を主張するつもりもない。本書には明確な政治目的がある。自由を驚かす専制に対抗し、自由を守る意志を固めることである。しかも本書は、ヨーロッパの伝統とファシズム全体主義との間にはいかなる妥協もありえないとする。

 ファシズム全体主義がヨーロッパの基本原則を脅かす存在であることを知るがゆえに、私は、ファシズム全体主義革命についての通常の解釈や説明を受入れるわけにはいかない。それらのものは、表面的な現象の説明と解釈に満足している。争う余地のない事実を認めようとしないものも少なくなく、あらゆる種類の旧体制が自らの死を隠蔽するために陥った自己欺瞞を連想させる希望的観測にしがみついている。

旧秩序の支持者たちが陥っているこの自己欺瞞は、彼ら自身の勝利よりも、むしろ新興の革命勢力にとって助けとなっている。

 したがって私は、ファシズム全体主義について、意味のある的確な解釈と説明が必要であると考えた。政治の世界と社会に偶然や奇跡は存在しない。政治と社会の動きには必ず何らかの原因が存在する。社会の基盤を脅かす革命もまた、社会の基盤における基本的な変化に起因しているはずである。人間の本性、社会の特性、および一人ひとりの人間の社会における位置と役割についての認識の変化に起因しているはずである。

 本書において私は、ファシズム全体主義を根源的な革命として理解し、説明した。しかも、歴史の唯物的解釈を全面的にしんずるわけではないが、分析は最初から社会的領域と経済的領域に限定することにした。

 物質は、それだけれでは人間社会の基盤とはなりえない。それは人間の実存を支える柱の一つにすぎない。しかも、もう一方の柱である精神よりも重要であるというこはないし、より重要でないということもない。これは、人間が動物の王国に属するとともに、神の王国にも属する存在であることによる。人間の成長とその変化は、社会活動や事業活動において現れると同時に、精神活動や芸術活動において現れる。すなわち、革命の分析には、精神的側面と物質的側面の分析が必要となる。

しかし現実には、そのような試みは、たとえ料理や性的儀式、軍事作戦や地図製作などと人間活動の些事にいたるまで網羅したとしても、人間そのものを見失うシュペンダーの悪夢に終わるおそれがある。


一九世紀は精神的領域を物理的領域に奉仕させようとした時代だった。しかし、例えば、一三世紀以降の時代が物質的領域を精神的領域に奉仕させようとした時代だったことを理由として、一六世紀の宗教改革の淵源は物質領域にあることを分析しようとするならば、それはあまりにも回り道であって、無益な試みといわなければならない。同じように、今日の革命の分析を精神的領域から始めることも無益である。とはいえ、社会的領域における変化を対象とする私の分析が、全体像の半面にすぎないことには留意していただきたい。


私の分析は、完成に近づきつつある自由世界において、イタリアのファシストが無視しうる雑音にすぎなかったヒトラー前のヨーロッパという平穏な時代に遡る。しかし当時でさえ、われわれの心の安寧がもはや現実のものではなく、いつ破局が訪れやもしれぬという切迫感があった。

したがって、本書の分析は、ドイツにおいてナチスが政権を奪取したときには、事実上完了していたといってよい。事実、その後数年間の現実の動きは、私の分析の正しさを証明していた。しかも私はかなり正確に予測していた。こうして私の分析が単なる仮説以上のものであることが明らかになったとき、私は本書の刊行に踏み切った。


しかし、ここにきわめて重要なこととして、予め断っておきたいことがある。それは本書がニューヨークにおいて、主としてアメリカ人を対象として書いたものでありながら、結論はそのままアメリカに適用されるべきものではないということである。アメリカの将来を左右する基本的な力が何であるにせよ、それらの力はヨーロッパのものとはまったく異なる。ヨーロッパの動きをアメリカに当てはめることは、ヨーロッパを理解するうえでもアメリカを理解するうえでも有害である。私の見解と結論がそのように使われることは私の意図に反する。


最後に私は、本書の執筆にあたって、助言、批判、示唆を与えてくれた妻に謝意を表したい。彼女の助力と協力がなければ本書を書きあげることはできなかった。

また原稿に手を入れ、助言と示唆を与えてくれたリチャード・J・ウォルシュ氏、および原稿の最終的な取りまとめにあたって惜しみなく時間を割き、助言をしてくれたハロルド・マンハイム氏にも謝意を表したい。

一九三九年一月

ニューヨーク州ブロンクスビルにて
        ピーター・F・ドラッカー

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目次

  • まえがき
  • 第1章 反ファシズム陣営の幻想
    • ファシズム全体主義への誤解
    • 新しい諸症状を分析する
    • 大衆心理の不思議
    • 管理ゆえに信ず
  • 第2章 大衆の絶望
    • マルクス社会はなぜ失敗したか
    • ブルジョア資本主義の約束不履行
    • 「経済人」の破綻
    • 秩序を奪われ、合理を失う
  • 第3章 魔物たちの再来
    • 世界大戦と大恐慌が明らかにしたもの
    • 魔物たちを追放せよ
    • 経済的自由を放棄する
    • ファシズム全体主義の登場
  • 第4章 キリスト教の失敗
    • キリスト教の戦果
    • 知的エリートとキリスト教
    • 教会は無力である
    • ファシズム全体主義に対峙できるか
  • 第5章 ファシズム全体主義の奇跡 ドイツとイタリア
    • ドイツとイタリアの国民性
    • 与えられた民主主義と獲得した民主主義
    • ムッソリーニとヒトラー
    • ドイツのナチズムとイタリアのファシズム
  • 第6章 ファシズム全体主義の脱経済社会
    • 産業社会の脱経済化という奇跡はなるか
    • 不平等を相殺する社会有機体説
    • 軍国主義による脱経済化
    • ファシズム全体主義経済の実体
    • 深刻化する資源の輸入問題
  • 第7章 奇跡か蜃気楼か
    • 戦争と平和
    • 聖なる戦いの末路
    • 反ユダヤ主義はこうして起こった
    • ブルジョア資本主義の化身としてのユダヤ人
    • 信条ではなく組織がすべて
    • 社会の規範を超越した指導者原理
  • 第8章 未来
    • 独ソ開戦に託された道
    • 独ソの利害は一致するか
    • 新しい秩序に基づく新しい力
  • 付録 
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 10 産業人の未来

まえがき

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 11 会社という概念

まえがき

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 12 傍観者の時代

まえがき

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 13 マネジメント(上)

 14 マネジメント(中)

まえがき

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 15 マネジメント(下)

まえがき

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16 【エッセンシャル版】マネジメント

日本の読者へ

 私の大部の著作『マネジメント----課題・責任・実践』からもっとも重要な部分を抜粋した本書は、今日の日本にとって特に重要な意味を持つ。日本では企業も政府機関も、構造、機能、戦略に関して転換期にある。そのような転換期にあって重要なことは、変わらざるもの、すなわち基本と原則を確認することである。そして本書が論じているもの、主題としているもの、目的としているものが、それら変わらざるものである。

 事実、私のマネジメントについての集大成たる『マネジメント』は一九五〇年代、六〇年代という前回の転換期における経験から生まれた。まさにその時期に、二〇世紀のアメリカ、ヨーロッパ、日本の経済、社会、企業、マネジメントが形成された。日本を戦後の廃墟から世界第二位の経済大国に仕上げたいわゆる日本型経営が形成されたのもこの時期だった。

 私のマネジメントとの関わりは、第二次大戦中、当時の最大最強の自動車メーカーGMでの調査に始まり、アメリカの大手鉄道会社と病院チェーンへのコンサルティング、カナダの政府機関再編への協力、日本の政府機関再編への協力、日本の政府機関、企業への助言と進んでいった。

 それらの経験が私に教えたものは、第一に、マネジメントには基本とすべきものがあるということだった。

 第二に、しかし、それらの基本と原則は、それぞれの企業、政府機関、NPOの置かれた国、文化、状況に応じて適用していかなければならないということだった。英語文化と仏語文化の共存が大問題であるカナダの政府機関再編、国との関係再構築についての助言という私の仕事には役に立たなかった。同じように、歴史のあるアメリカのグローバル企業の組織構造は、たとえ同じ産業にあっても、創業間もない日本のベンチャー企業の組織の参考にはならなかった。

 そして第三に、もう一つの、しかもきわめて重要な「しかし」があった。それは、いかに余儀なく見えようとも、またいかに風潮になっていようとも、基本と原則に反するものは、例外なく時を経ず破綻するという事実だった。基本と原則は、状況に応じて適用すべきものではあっても、断じて破棄してはならないものである。

 ところが私は、当時、成功している経験豊かな経営者さえ、それらの基本と原則を十分把握していないことに気づいた。そこで私は、数年かけて、マネジメントの課題と責任と実践に関わる基本と原則を総合的に明らかにすることにした。

 実はその二〇年前、すでに私は、企業や政府機関のコンサルタントとしての経験と、二つの大学で役員を務めた経験から、同じ問題意識のもとにこの課題に取り組んでいた。その成果が、三〇ヶ国語以上に翻訳されて世界中で読まれ、今日も読まれ続けている『現代の経営』だった。それは全書というよりも入門書だった。

 しかし『マネジメント』は、初めからマネジメントについての総合書としてまとめた。事実それは、マネジメントに関わりを持ち、あるいはマネジメントに感心を持つあらゆる人たち、すなわち第一線の経営者から初心者にいたるあらゆる人たちを対象にしていた。

 その前提とする考えは、マネジメントはいまや先進社会のすべてにとって、欠くことのできない決定的機関になったというものである。さらには、あらゆる国において、社会と経済の健全さはマネジメントの健全さに左右されるというものである。そもそも国として、発展途上国は存在せず、存在するのはマネジメントが発展途上段階あるだけであるということに私が気がついたのは、ずいぶん前のことだった。

『マネジメント』が世に出た後も、無数の経営書が出た。勉強になる重要なものも少なくない。しかしそれらのうちもっともオリジナルなものでさえ、扱っているテーマはすでに『マネジメント』が明らかにしていたものである。事実、この三〇年に経済と企業が直面した課題と問題、発展させた政策と経営のほとんどは、『マネジメント』が最初に提起し論じていた。

 『マネジメント』は、世界で最初の、かつ今日にいたるも唯一のマネジメントについての総合書である。しかも私が望んだように読まれている。第一線の経営者が問題に直面したときの参考書としてであり、第一線の専門家、科学者が組織とマネジメントを知る上での教科書としてであり、ばりばりのマネージャー、若手の社員、新入社員、学生の入門書としてである。うれしいことには、企業、組織、マネジメント直接の関わりを持たない大勢の人たちが、今日の社会と経済を知るために『マネジメント』を読んでくれている。

 マネジメントの課題、責任、実践に関して本書に出てくる例示は、当然のことながら、『マネジメント』初版刊行時のものである。しかし、そのことを気にする必要はまったくない。それらの実例は、基本と原則を示すためのものであり、すでに述べたように、それらのものは変わらざるもの、変わり得ないものだからである。

 したがって読者におかれては、自らの国、経済、産業、事業がいま直面する課題は何かか、行うべき意思決定は何か、そしてそれらの課題、問題、意思決定に適用すべき基本と原則は何かを徹底して考えていっていただきたい。さらには、一人の読者、経営者、社員として、あるいは一人の知識労働者、専門家、新入社員、学生として、自らの前にある機会と挑戦は何か、自らの拠り所、指針とすべき基本と原則は何かを考えていただきたい。

 世界中の先進社会が転換期にあるなかで、日本ほど大きな転換を迫られている国はない。日本が五〇年代、六〇年代に発展させたシステムは、他のいかなる国のものよりも大きな成果をあげた。しかし、そしてまさにそのゆえに、今日そのシステムが危機に瀕している。すでに周知のように、それからの多くは放棄して新たなものを採用しなければならない。あるいは徹底的な検討のもとに再設計しなければならない。今日の経済的、社会的な行き詰まりが要求しているものがこれである。

 私は、二十一世紀の日本が、私と本書に多くのものを教えてくれた四〇年前、五〇年前の、あの革新的で創造的な優木あるリーダたちに匹敵する人たちを再び輩出していくことを祈ってやまない。そしてこの新たな旗手たちが、今日の日本が必要としているシステムと戦略と行動を生み出し活かすうえで、本書がお役に立てることを望みたい。

 本書がこの偉業に貢献できるならば、これに勝る喜びはない。それは私にとって、私自身と、体系としてのマネジメントそのものが、これまで日本と、日本の友人、日本のクライアントから与えられてきたものに対するささやかな返礼にすぎない。

 本書の編訳者である上田惇生氏は『マネジメント---課題、責任、実践』の翻訳チームの最年少のメンバーだった。日本の代表的な経済団体である経団連で広報部長を務められた後、ものづくり産業の担い手たるテクノロジスト育成のための四年制の私立大学、ものつくり大学の設立に参画され、現在同大学で教授を務めておられる。

 しかも氏は、忙しい仕事の合間を縫って、ずっと私の日本における助言者、編集者、翻訳者の役割を果たしてきてくれた。実際のところ、氏は私の著作のほとんどすべてを訳してくれている。二度三度と訳し直してくれたものもある。本書もその一つである。私は私の謝意と友情の深さを表す言葉を知らない。私が読者の各位とともに言えるのは、本当にありがとうという言葉だけである。

 本書を著述家が持ちうる最高の友人、最高の編集者、最高の翻訳家たる上田先生に捧げることを許していただきたい。

二〇〇一年一月

カリフォルニア州クレアモントにて
        ピーター・F・ドラッカー

まえがき-----なぜ組織が必要なのか

 われわれの社会は、信じられないほど短い間に組織社会になった。しかも多元的な社会になった。生産、医療、年金、福祉、教育、科学、環境にいたるまで、主な問題は、個人と家族ではなく組織の手にゆだねられた。この変化に気づいたとき。「くたばれ組織」との声があがったのも無理はない。だが、この反応はまちがっていた。なぜなら、自立した存在として機能し成果ををあげる組織に代わるものは、自由ではなく全体主義だからである。

 社会には、組織が供給する財とサービスなしにやっていく意思も能力もない。しかも、組織の破壊者たる現代のラッダイト(産業革命時の機械破壊運動者)のなかで、組織を必要としているのは、声の大きな高学歴の若者である。知識を通じて生活の資を稼ぎ、成果をあげて社会に貢献する機会が豊富に存在するのは、組織だけだからである。

組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策である。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、マネージャーの力である。成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである。

 経営者のほとんどがもっぱらマネジメントの仕事を扱っている。それらはマネジメントを内から見ている。これに対し、本書はマネジメントの使命、目的、役割から入る。マネジメントを外から見、その課題にいかなる次元があり、それぞれの次元に何が要求されるかを見る。しかる後に、マネジメントのための組織と仕事を見る。さらにトップマネジメントと戦略を見る。

 マネジメントは、以前にも増して大きな成果をあげなくてはならない。しかも、あるゆる分野で成果をあげなくてはならない。個々の組織の存続や繁栄よりもはるかに多くのことが、その成果いかんにかかっている。組織に成果をあげさせられるマネジメントこそ、全体主義に代わる唯一の存在だからである。

 本書の動機と目的は、今日と明日のマネジメントをして成果をあげさせられることにある。

一九七三年春

カリフォルニア州クレアモントにて
        ピーター・F・ドラッカー

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目次

  •  
    • 日本の読者へ
    • まえがき
  • part1 マネジメントの使命
    •  
      • 1 マネジメントの役割
    • 第1章 企業の成果
      • 2 企業とは何か
      • 3 事業は何か
      • 4 事業の目標
      • 5 戦略計画
    • 第2章 公的機関の成果
      • 6 多元社会の到来
      • 7 公的機関不振の原因
      • 8 公的機関成功の条件
    • 第3章 仕事と人間
      • 9 新しい現実
      • 10 仕事と労働
      • 11 仕事の生産性
      • 12 人と労働のマネジメント
      • 13 責任と保障
      • 14 「人は最大の資産である」
    • 第4章 社会的責任
      • 15 マネジメントと社会
      • 16 社会的影響と社会の問題
      • 17 社会的責任の限界
      • 18 企業と政府
      • 19 プロフェッショナルの倫理---知りながら害をなすな
  • part2 マネジメントの方法
    • 20 マネジメントの必要性
    • 第5章 マネージャー
      • 21 マネージャーとは何か
      • 22 マネージャーの仕事
      • 23 マネジメント開発
      • 24 自己管理による目標管理
      • 25 ミドルマネジメント
      • 26 組織の精神
    • 第6章 マネジメントの技能
      • 27 意思決定
      • 28 コミュニケーション
      • 29 管理
      • 30 経営科学
    • 第7章 マネジメントの組織
      • 31 新しいニーズ
      • 32 組織の基本単位
      • 33 組織の条件
      • 34 五つの組織構造
      • 35 組織構造ついての結論
  • part3 マネジメントの戦略
    •  
      • 36 ドイツ銀行物語
    • 第8章 トップマネジメント
      • 37 トップマネジメントの役割
      • 37 トップマネジメントの構造
      • 37 取締役会
    • 第9章 マネジメントの戦略
      • 38 規模のマネジメント
      • 39 多角化のマネジメント
      • 40 グローバル化のマネジメント
      • 41 多角化のマネジメント
      • 42 グローバル化のマネジメント
      • 43 成長のマネジメント
      • 44 イノベーション
      • 45 マネジメントの正統性
      • 結論
    • 付章 マネジメントのパラダイムが変わった
      • 編訳者あとがき
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